top of page
  • 執筆者の写真Keizo Murai

<サプリメント116>作品における「厚み」というもの

ここにある写真は、

東京は、台東区にある浅草橋の風景。

この場所に来る度に、

古びた高架の存在感に圧倒され、

そして、

それを取り巻く雑多な街並に、

悠久の時間の流れを感じ取り、

その世界観に見入ってしまう。



なぜこんなにも魅了されてしまうのかというと、

そこに、様々なドラマを感じてしまうから。

長い時間が流れる途中で起こった

様々な人間のドラマを垣間見ることができる。

実際に見た訳ではないにも関わらず、

何らかの出来事を想像してしまう。


これは感情移入ができている証拠。



ボクは、その一時間後に、

新橋から「ゆりかもめ」に乗った。

なんだかペナペナしてる・・・。

スマートで、SFみたいでカッコいいんだけど、

なんだかペナペナしてる・・・。




で、あまりの違いに、ボクはハタと思った。

これが、いわゆる「厚み」というか「味」なのか・・・。


どちらが良いとか悪いとか言うことではない。

ただ、ボクは、

ゆりかもめの疾走する光景に、

存在感を感じることはできなかった。

すくなくとも、

あの浅草橋の古びた高架の圧倒的な存在感は、

ココにはなかった。


ペロリとなめても、何にも味がしないというか、

プラスチックの味がするというか・・・。


それゆえ、そこにドラマを感じることができない。

つまり、感情移入ができないのである。



この違いが、作品における、まさに「厚み」なんだろう。



見る人に感情移入させることができるかどうか、

人の感情を揺さぶることができるかどうか。


作品作りのヒントが、なんと「浅草橋」に隠されていたのです。


浅草橋の、あのきったない高架をペロリとなめたら、

それこそ想像を絶する味がするんだろうなぁ・・・。

おそるべし、浅草橋。

最新記事

すべて表示
bottom of page