ここにある写真は、
東京は、台東区にある浅草橋の風景。
この場所に来る度に、
古びた高架の存在感に圧倒され、
そして、
それを取り巻く雑多な街並に、
悠久の時間の流れを感じ取り、
その世界観に見入ってしまう。
なぜこんなにも魅了されてしまうのかというと、
そこに、様々なドラマを感じてしまうから。
長い時間が流れる途中で起こった
様々な人間のドラマを垣間見ることができる。
実際に見た訳ではないにも関わらず、
何らかの出来事を想像してしまう。
これは感情移入ができている証拠。
ボクは、その一時間後に、
新橋から「ゆりかもめ」に乗った。
なんだかペナペナしてる・・・。
スマートで、SFみたいでカッコいいんだけど、
なんだかペナペナしてる・・・。
で、あまりの違いに、ボクはハタと思った。
これが、いわゆる「厚み」というか「味」なのか・・・。
どちらが良いとか悪いとか言うことではない。
ただ、ボクは、
ゆりかもめの疾走する光景に、
存在感を感じることはできなかった。
すくなくとも、
あの浅草橋の古びた高架の圧倒的な存在感は、
ココにはなかった。
ペロリとなめても、何にも味がしないというか、
プラスチックの味がするというか・・・。
それゆえ、そこにドラマを感じることができない。
つまり、感情移入ができないのである。
この違いが、作品における、まさに「厚み」なんだろう。
見る人に感情移入させることができるかどうか、
人の感情を揺さぶることができるかどうか。
作品作りのヒントが、なんと「浅草橋」に隠されていたのです。
浅草橋の、あのきったない高架をペロリとなめたら、
それこそ想像を絶する味がするんだろうなぁ・・・。
おそるべし、浅草橋。